8月1日(水) 。平成5年7月12日午後10時17分、突然奥尻島を襲った「北海道南西沖地震」により奥尻町は壊滅的ともいえる甚大な被害を受けました。
人的被害だけで死者172名、行方不明26名、重軽傷者143名にもおよび、被害総額約664億円にも達する大惨事となりました。
奥尻島津波館では、被害状況が記録として残されており、大規模な崖地の崩壊によりホテル・レストラン、灯油備蓄タンクが飲み込まれた奥尻地区。
津波の高さ29mにも達したといわれ家や人々を一瞬のうちにさらわれた青苗地区、稲穂地区。
さらに火災で市街地を焼き尽くした青苗地区など。町民すべてに毎日お知らせする防災等の無線は、家の中でも聞けるラジオ型の受信機が全戸にあります。
家の中でもまた外でもスピーカーを通して聞けるようになっています。
さて、12年経った今、奥尻の人々の心の傷はなくなるものではありませんが、町並みは完全復興でありました。
当時、青苗小学校4年生の作文「地震が起こった すぐに外に出た 灯台がくずれていた 走っている人たちは津波がくるとさけんでいた 友だちに会った うれしかった 次の朝 私の家にいった 家がなかった 悲しかった」 悲しみから立ち上がり力強く生き抜く奥尻の状況を心に刻みました。
夕張市と奥尻町のマイナスからの復興再建の視察は、今後の私たちの貴重な財産となりました。